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富澤たけしにヤンキー時代はあったのか!?

富澤たけしにヤンキー時代はあったのか!?

お笑いコンビ“サンドウィッチマン”の富澤たけしさん。
イカツイ顔が印象的ですよね?実は彼、高校時代はヤンキーだったのでは!?と言われているんです。

本当の所はどうなのでしょうか…?
その他、サンドウィッチマンの歩みについてもお届けしていきましょう。

富澤ファンは必見です。
どうぞ御覧になって下さい。

 

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富澤たけしの生い立ち

本名・富澤岳史(とみざわ たけし)さんは1974年4月30日生まれ、宮城県仙台市の出身・生まれは東京です。

生まれつき右のまぶたが開かないという病気をもち、赤ちゃんの時に手術を受けます。
そのため右の視力は0.1、左は1.0という視力差があります。

高校は仙台商業高等学校・ラグビー部でした。
だからガッチリ体型なのですね。ちなみに相方の伊達みきおさんも同じラグビー部でした。

嫌いな食べ物は魚介類。東北出身なのにもったいない!
ですが鮭と秋刀魚は好きだそうです。
なんと、お酒も苦手です。

趣味はサッカー・野球・バスケットボールなどのスポーツ観戦、ユニフォームを集めるのも好きだと言います。
他には、映画・宇宙人雑誌・芸人の本を見るのも好きだそうです。

そして2009年に結婚、2人の男の子のお父さんとなりました。
奥さんとは毎日メールをしていると言います。
と~っても仲良しなんですね♡

そんな富澤たけしさんですが、高校時代はヤンキーだったのでは!?と言われています。
“ヤンキー”という言葉も今となっては古い感じがしますよね。
ですが富澤さんが高校生の頃はヤンキーや不良の全盛期とも言える時代。髪型はリーゼント・制服を幅広ズボン・長めの学ラン・女子なら長めのスカートなどにして着ている不良たちが多くいました。

猫までにも“なめ猫“として制服を着せて写真を撮り、それが大人気!グッズもたくさん販売されました。
こちらは怖いというより可愛かったですけどね。
それでは、富澤たけしさんは本当にヤンキーだったのでしょうか?お届けしていきましょう。

 

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富澤たけしにヤンキー時代はあったのか!?

富澤たけしさんは、ご自身の高校時代のエピソードを日本テレビ系「誰だって波瀾爆笑」(2017年7月23日放送)で語られています。
富澤さんが通っていた仙台商業高等学校は自転車を盗まれることがしばしばで、富澤さんも盗まれたそうです。
そのためバイク通学に変更しますが先生にバレてしまい、次にとった行動がスゴいんです!

なんと!こともあろうに車通学に変更したのです!

「高校生が車!?」「無免許!?」いろいろな“?(クエスチョン)”が浮かんできますよね。富澤さんは4月生まれなので、まぁ免許を取ることは可能なのです。
バイトで貯めたお金で中古車を購入。朝早く通学をし、先生たちの駐車場に停めていたそうです。
そして先生たちが帰った後で帰っていたとか。車通学の高校生…初めて聞きました。
よくバレなかったですよね、かなり衝撃的なお話です。
この話以外にも“ヤンキーらしきもの”があるんです。

引用 https://wasamonda.com/tomizawa-bat/

それはネット上でよく見かける富澤さんの卒業アルバムの写真。一人ずつ撮りますよね?その写真が髪型はリーゼント・肩には野球のバットをのせてイカツイ顔で写っているのです!
リーゼントに野球のバット、ヤンキーお決まりのスタイルと言えますね。なかなか卒業アルバムの写真にバットを持っては写らないですよね…。
しかも先生はバットの向きの確認までしてくれたとか!どうやら先生公認!?の写真であったようです。
なんてオープンな高校なのでしょうか、ビックリです。

やはり富澤さんはヤンキーだったのでしょうかね?でもラグビー部に入って部活動をしていましたし、車もバイトで貯めたお金で購入していますからね…半分ヤンキーでしょうか!

続いては、サンドウィッチマンの歩みをお届けしていきましょう。。。

 

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富澤たけし、サンドウィッチマンとしての歩み

高校の時からモノ作りをする人になりたいと考えていた富澤たけしさん。お笑い芸人を目指し1998年に今の相方の伊達みきおさんとコンビを組みます。
伊達さんを長年かけて説得の末、結成されたと言います。

アパートに一緒に住み、アルバイトをしながらライブ活動を行っていたそうです。
ですが、なかなか良い話はなく“正念場”と覚悟を決めた時に転機が訪れます。
「エンタの神様」への出演の話がきたのです。
これが大成功!世の中に“サンドウィッチマン”の名前が知れることとなりました。
それは2005年の出来事です、もう彼らは30代に入っていました。

そして2007年M-1グランプリ優勝。お笑い界の大先輩たちを唸らせるほどまでに成長したサンドウィッチマン、さらに人気はupします。

2011年3月11日・東日本大震災被災、ロケ中の出来事でした。
それ以来お二人は東北復興の為に寄付をされたり、義援金活動を行っています。
2012年には「被災地で活動した芸能人ベストサポート」として日本財団より表彰されました。
その他には、みやぎ絆大使・伊達美味PR大使・宮城ラグビー親善大使なども務められています。

彼らの熱い思いは東北の方達はもちろんのこと、世の中の多くの方たちにも伝わりました。
富澤たけしさんはモノ作りをしたいという思いを持ち続け、お笑い芸人になった熱い男てでした。(ネタは殆ど富澤さんが作られています。)
今は東北復興への熱い思いを持ち続けています。
熱い男は今も昔も変わっていないと言えるでしょう。

富澤たけしのヤンキー説まとめ

「富澤たけしさんのヤンキー説」についてお届けしてきました。
高校時代、見た目はヤンキーでもチョットどこか違う熱い男・富澤たけしさんでした。
調べれば調べるほど奥の深い、面白くて素敵な方でした。
人気が出るのも分かる気がします。
これからもサンドウィッチマン・富澤たけしさんの活躍に期待大です。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

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