
有村架純主演の「ビリギャル」がかなり話題になっていますが、金スマにこのビリギャルのモデルとなった本人が登場した。
名前は「小林さやか」
小林さやかと母親のああちゃんが出演した。
『娘を信じ続ける母親』と『母親の期待に応えようと奮闘する娘』の深い愛の物語を語ってくれたのである。
小林さやかは「ビリギャル」の映画には出演していないが、実は制作スタッフとして働いていたようである。
撮影時に有村架純に群がる人達を制止したりしていたという。
お好きなところからご覧ください。
中学でギャル
小林さやかは、1988年に名古屋に生まれ、中学でギャルになった。
ああちゃんが小さい頃の小林さやかについてこう語っていた。
小学校の時は、とても消極的で傷つきやすく、すぐに泣いていた。
周囲となじめない子だったと・・・
そんな時にイジメにあってしまい、お母さんが学校に呼ばれていったとき、先生から衝撃的な言葉が・・・
「こんなイジメはよくあることなんです。長いものには巻かれろ!」
こんな先生は今であれば懲戒免職ものだ。
こんな学校に対してああちゃんは転校させることを決意したようで、いつもああちゃんはさやかの味方であったという。
転校してもなじめなかったため、中学には制服がかわいく、中学から大学まで勉強しなくても行ける中学に行くことに決めたらしいのです。
ここで小林さやかは合格するために記憶がないくらい勉強したようで合格したのだという。
合格したのは良かったが、もう勉強しなくて良いと思ったのもあり、ギャルに大変身をしたようだ。
中学の時がが最高潮だったらしい。
かなり遊んでいたようだが、家から飛び出したりするとああちゃんは車で必ず追いかけてきてどこまでも着いてくるという。
ああちゃんは、いつも見守っていたいという気持ちからそうした行動をしていたのだと言っていた。
母親とは反対に父親とは最悪な関係だったようだ。
父親は弟の野球に夢中でさやかと妹には興味がなかったらしい。
さやかからは本当にクソジジイと呼ばれていたことを語っている。
そんなさやかに転機が訪れる。
学校でたばこをもっていることが見つかり、退学の危機。
先生からは他にたばこを吸っている生徒を教えろと問い詰められた。
そんなさやかを見て、ああちゃんが先生にこういったのである。
「じぶんが助かるために友達を売るということですか?こんな学校であれば退学でもいい」と・・・
さやかはそんなああちゃんを見てこう思ったそうだ。
「ああちゃんを泣かせることは止めよう」
なぜああちゃんはこんなにさやかに接しているのか。
それはああちゃんの過去に秘密があった。
小さい頃のああちゃんは自己否定がひどくダメ人間だと思っていたという。
1964年に大阪府に生まれ、子供のしつけに厳しく子育てに熱心な母親に育てられた。
姉は学歴も高く、ミスコンに選ばれるほどの人だったが、金使いあらかったし、弟はギャンブルで多額の借金をかかえていた。
そんな兄弟を見てきて、自分の娘だけはあんなになって欲しくないという思いからダメ人間と思わないように育てたということ。
しかし、さやかだけ無期停学になり、やる気がなくなってしまった。
ここでもああちゃんは一つの決断をするのだった。
そのまま中学から高校、大学へいける中学に入ったのだが、受験をして他の大学へ行くことを決め、塾に通い始めたのだ。
この塾が坪田塾!
坪田信孝先生と出会う。
坪田信孝先生は小林さやかを初めて見た時の印象をこう語っていた。
本当に瞳孔が開くというか、こんな子が塾にくるのが衝撃だった。夜の仕事で出勤にいくのか?とも思ったという。
小林さやかはこの坪田信孝先生のことをよく笑う変わった人だなあと思ったらしい。
そしてこの坪田信孝先生が凄かったのである。
ほとんど勉強してこなかった小林さやかの目標を慶応大学にしたのだ。
慶応にとりあえず決める
このときの小林さやかのノートにはこう書いてあった。
「ばか脱出 エリート進出 将来マダム」
またここで父親の登場。
みんなが慶応は受からないし、詐欺師でないか?って思ったらしい
しかしああちゃんは違っていた。
娘のその時の表情がわくわくしていたので良かったと。
そしてさやかは塾に通いながら勉強をしていったわけなのだが、坪田信孝先生は生徒をほめてやる気にさせる手法をとっていた。
小学校レベルの勉強に戻って始めていたので、とても簡単に覚えていって、ずっとほめられていたので、勉強が楽しくなってきたようで、
さらにゲーム感覚で勉強をさせる工夫も行い、苦手な日本史なんかは、マンガの歴史本で勉強するようにしていたようだ。
こうやってがんばってきたのですが、現実の壁が立ちはだかります。
それは、スタートが遅く慶応合格には間に合わない!
塾には週3日通っていたが、もっと通わなければいけない。しかしお金が必要。
父親は反対していた方なので、お金は出さないということからああちゃんが「私がやりますから大丈夫です。」
と答えて、父親からお金をもらうことなく自分で稼いだようだ。
ああちゃんはパートを増やし、子供の定期を解約、生命保険も解約し、貴金属も売ってしまい、結婚指輪も売ることまでしてしまった。
そんなお金を坪田信孝先生に持っていったときの先生の言葉がとても良いので紹介しよう。
「この重みは絶対に忘れるな。2倍にしてかえせ!!」
そこから小林さとみはさらに勉強をした。眠いとおもったことはないのだという。
そして一代決心をした。髪を切りギャルをついに卒業したのである。
15時間以上の勉強を続けてきたが、模擬試験では合格が難しいE判定。
慶応あきらめかけて悩んで挫折している時に、ああちゃんは「そんなに苦しいのであれば辞めれば?」と言ってくれたのだと。
あれだけ苦労して集めたお金だったのに・・・
そんなああちゃんを見てさらにがんばった!
すると、次の模擬試験結果がC判定。合格確立50%になった。
この時のさやかを見て父親は、「本当にすごいんだって思った。 悪かったなあ、ひょとするかなあ」と思ったという。
そして今まで夫婦関係も悪かったが、変化して話をするようにもなったようだ。
家族再生の物語!
ついに試験日!
しかし、おなかを下すというハプニングがさやかを襲う。トイレに3回も行くことになる。
試験結果は不合格!
しかしもう一つ受験することになっていたが、それが総合政策学部。
この学部はさらに難しい。
偏差値 72.5で医学部と同じなのである。
小論文があったが、とてつもない奇跡が起こり合格したのである。
最後にああちゃんの言葉。
「自分で決めさせる。自分で決めたことは何でもやらせる。そしてどんな応援でもする」
これがここまでさやかの原動力となっていたのである。
慶応大学を4年で卒業し、現在は2014年結婚したのだそうだ。
偏差値40アップの秘けつがわかっただろうか・・・
本人の努力
母親からの愛情
優れた教育者
やはり、一番の秘けつは母親がさやか自信を信頼して育ててきたことだろう。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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