
自民党の町村信孝(まちむら・のぶたか)さんが死去しました。
死去の原因はたびたび病気で入退院を繰り返していたのですが、やはり脳梗塞が原因で亡くなられたようです。
町村信孝さんは官房長官や外相も務められた方で、皆さんもよく名前を聞かれたのではないかと思います。
4月までは衆議院議長をしていて脳梗塞の病気療養のために辞任していました。
衆議院の地盤は北海道5区で当選回数はなんと12回もの当選を果たしています。
この数字からも地元での信頼はかなりのものだったことが伺えますね。
後援会など大変悲しんでおられるのではないでしょうか。
お好きなところからご覧ください。
町村信孝 プロフィール
生年月日 1944年10月17日
出生地 静岡県沼津市
出身校 東京大学経済学部卒業
所属政党 自由民主党(細田派)
称号 経済学士(東京大学・1969年)
町村家は江戸時代(1603年~1867年)、代々越前藩の附家老府中領主本多家に仕えた武士の家系。
祖父 : 町村金弥 – 実業家、政治家。大久保町長。
父 : 町村金五 – 官僚、政治家。北海道知事、衆議院議員、参議院議員、自治大臣。
祖父も父も政治家だったんですね。
父親の地盤を引き継いだ形で政治家になったのでしょう。
衆議院議員での大臣などの経歴
第2次橋本改造内閣で文部大臣
第2次森改造内閣で文部大臣・科学技術庁長官
初代文部科学大臣
第2次小泉改造内閣で外務大臣
第1次安倍改造内閣で外務大臣
福田康夫内閣で内閣官房長官、拉致問題担当大臣
福田康夫改造内閣で内閣官房長官
2012年自由民主党総裁選挙に出馬も敗退
衆議院議員としてはずっと重責のある役割を果たしてこられています。
各議員の言葉をまとめました。
◆安倍晋三首相
「町村氏の業績、遺徳をしのび、冥福を祈りたい。私も若い議員のときから指導いただいた。本当に急な話で残念でならない」
◆小沢一郎「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表
「僕より年齢が下で本当に残念に思う。自民党時代、グループが違ったからプライベートで付き合った仲ではないが、頭の良い方で気のとてもいい同僚だった」
◆石破茂地方創生担当相
「あまりにも突然のことで言葉もない。また元気に戻ってこられて、日本政界全体あるいはわれわれ後輩をご指導いただけるものと思っていたので極めて残念だ」
◆谷垣禎一幹事長(自民党)
「回復してご活躍になると予想していたが、急なご逝去で何とも言葉がないというのが正直な思いだ」
「町村さんを失った痛手は大きいが、しっかりわれわれも頑張って、町村さんの志に応えられるようにしなければいけない」
◆大島理森衆院議長
「(当選)同期として32年間ともに語り合ってきた。信念、勇気のある政治家だった。先ほどお別れに病院にうかがい、『町っちゃん、起きろ』と言ったが、返事はなかった」
後継者は誰に?
町村信孝さんには息子がいない。子供は娘が2人です。
娘は政治には関わっていないようですので、必然的に地盤を引き継ぐ人がいないようです。
しかし、噂では娘婿が政治家ということで、その方が引き継ぐのが筋ではないでしょうか。
衆議院になれる人材なのかは疑問ですが、誰かが引き継ぐという形をとると思います。
体調が悪くなった時から後継者問題はあったようなので、今後の動向を見守りましょう。
多くの方から信頼されたお方であり、大変残念ですがお悔やみ申し上げます。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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