
ファッションモデルで現在はセレブなアンミカさん。
実は極貧と言われるほど貧乏で、その理由と貧乏話が子供時代を今のアンミカさんからは想像できない生活をされていたようです。
アンミカさんは、韓国の済州島生まれ。
現在は、ファッションモデルをされています。
結婚もしていて、アメリカ人の実業家と結婚をされたので、セレブ生活を満喫しているところです。
お好きなところからご覧ください。
アンミカの貧乏な理由
アンミカさんは、韓国生まれ。
そして、ご両親は在日韓国人ということです。
大阪出身のアンミカさんですが、子供時代は大阪府大阪市の生野区に住んでいたそうです。
生野区は、「在日コリアン」の方が多く住んでいる地区で有名ですね。
焼肉で有名な鶴橋という地区にいたそうです。
なぜ、貧乏な生活を余儀なくされたのかという理由ですが、前述のご両親が韓国人ということが理由のようです。
在日韓国人ということで、なかなか定職に就くことができずに生活するお金がなくて毎日が極貧生活だったと語ってます。
アンミカの貧乏話
貧乏話その1 「他人の家の、部屋です」
住まいは、長屋の2階の四畳半の部屋
部屋?と思われたでしょうが、部屋なのです。
知り合いの長屋の2階に間借りしていたそうで、さらにアンミカさんは大家族。
子供5人、両親2人の7人家族だったので、四畳半に7人とは想像できませんね。
まず、寝るだけでもどうやって寝るんだろう?と思います。
生活道具など置く場所もないですし、洋服やランドセルなんかもどこに置いていたんだろうという感じです。
そもそも、生活道具もほとんどなかったのかもしれませんね。
そしてアンミカさんはこう感じていました。
「だから玄関が共有なので、自分の家の玄関があることが羨ましかった」
「人の家の一家団らんを通過して二階に上がるんです」
貧乏話その2 青果市場で物乞い
おやつを食べるっていう習慣がなかったそうです。
おやつは余分なものという。
夜中の三時くらいに叩き起こされて、リュックとビニール袋背負わされて、青果市場に行く。
そうすると、子供がリュック背負ってると、売れなかったフルーツを同情してくれることがあって、青果市場で物乞いのようなことをしていたそうです。
今語ると笑い話のように感じますが、当時はなぜこんなことをしているんだろう?
と子供ながらに思っていたのではないでしょうか。
さらに、スイカだけは青果市場でもらえないらしいのです。
スイカはなかなか腐らないのが理由なんだそうです。
なので、スイカ食べるの夢だったそうですよ。
1回だけ親戚のおっちゃんが正月にスイカを持ってきてくれて食べた時のエピソードが面白かったですね。
食べた後に珍しいからって親がスイカのタネをとっておいて、”スイカ食べたい”と言ったら、“タネしゃぶったらスイカの味する“って親に言われて、ずっとしゃぶってたというエピソードも話していました。
さらに、スイカの皮の白いところで体を拭いていました!!
とのこと??
なぜなんだろう?
細かいことは気にしないようにして・・・
とにかく、今のアンミカさんからは想像できないほどの貧乏生活をされていたようです。
現在のセレブ生活は自分の力で勝ち取ったので満喫していただきたいですね。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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