
プロレス界では知らない人はいない、ザ・デストロイヤー。
引退して長い年月が経ってしまいましたが、現在は何をされているのでしょうか。
力道山との伝説があったり、決してマスクを脱ぐことがなかったので、マスクの下の素顔など確認していきたいと思います。
ザ・デストロイヤーは、1960年代~1970年代に大活躍したプロレスラーです。
「白覆面の魔王」の異名を持っています。
白いマスクを被った覆面レスラーでしたね。
その頃の日本では覆面レスラー自体が珍しくとても印象に残ってます。
実際にテレビで見たことがある方は現在では40歳代以上の方なのではないでしょうか。
お好きなところからご覧ください。
ザ・デストロイヤーのプロフィール
本名 : リチャード・ベイヤー(ディック・ベイヤー)
誕生日 1930年7月11日(86歳)
リングネーム :ザ・デストロイヤー
ドクターX
ディック・ベイヤー
ニックネーム 白覆面の魔王
身長 178cm – 183cm
体重 110kg – 120kg
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州バッファロー
スポーツ歴 アメリカンフットボール
レスリング
Wikiより
身長が結構な幅がありなぜそのようなあいまいなのか良くわかりません。
既に86歳という高齢者となっていますが、現在も元気にされています。
ザ・デストロイヤーの日本での活躍
当時の日本のプロレス界は力道山が頂点の人気を誇っていました。
ザ・デストロイヤーは、元々アメリカで活躍していたレスラーです。
日本には1963年に初来日していますが、来日のきっかけはジャイアント馬場。
その当時はジャイアント馬場も若かりし頃で、修行を行っている頃でした。
アメリカで修行している頃にザ・デストロイヤーと何度も闘っています。
実際にはジャイアント馬場と3度、アメリカで戦っているそうです。
その時に取材などで日本の新聞社が10社ほど来ていて、その様子が日本で報じられ、一躍有名になりました。
当時は覆面自体が珍しいかったので、とても印象が強かったですね。
当然、かなりの人気がありましたので、マットの上だけでなく各種テレビにも出演して活躍をされていました。
記憶に残っているとすれば、力道山との対戦ではないでしょうか。
ザ・デストロイヤーと力道山
伝説の力道山戦
日本では当時、テレビの普及率が高くなくて、一家に一台という時代ではありませんでした。
テレビは他人の家に集まって見るもので、いつでも見れる環境ではなかったのです。
駅などにあったテレビには人だかりができるほど。
しかも白黒の時代です。
そんな時代に脅威の64%という視聴率をたたき出した試合が
ザ・デストロイヤーVS力道山
約7000万人が観戦したと言われてます。
現在、このような数字を出せる人物がいれば神と呼ばれるに違いない数字ですね。
力道山刺殺の時、本来はザ・デストロイヤーもその場にいるはずだった。
力道山が刺殺されたことは全国民にとって衝撃的な事件でした。
実は、当日ザ・デストロイヤーは力道山に誘われていたと言ってます。
ザ・デストロイヤーが力道山が経営していたリキ・ステーキハウスにファイトマネーを取りに行ったときに、力道山から今夜つきあうよに誘ってきたようです。
しかしアメリカにとんぼ返りをしなければならなかったため、断ったのです。
そしてアメリカに到着した時に奥さんから、力道山が刺されたということを聞いたそうです。
アメリカで仕事でなく、誘われて同席していれば助けられたと今でも後悔しているようですね。
マスクの下の素顔
トレードマークのマスクは、引退した現在でも人前に出るときには脱ぐことはしない。
未だに素顔を見たことのある人物はプロレス界のごく一部に限られます。
かなり若かりし頃の素顔はネットで出回ってますが、日本デビュー後の素顔を見ることはありません。
引退後に何度も日本に来日されていますが、その時も必ずマスクを被っての登場です。
ザ・デストロイヤーもアメリカでのプロレス時代は素顔でのプロレスラーでしたが、
途中から覆面レスラーとして活動されてきました。
引退後の日本テレビ系バラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にも出演していて、片言の日本語が新鮮で、大人気で多くの笑いを誘っっていました。
しかし、決してマスクを外すことはありませんでした。
アメリカに帰国しても、何度も来日していますが、
東京の麻布十番納涼祭りにには6年間暮らした地元ということで、毎年参加しているようです。
その際もマスクをかぶり素顔を見ることはありません。
今後もテレビやイベントで素顔を見ることはなさそうです。
ザ・デストロイヤーの現在
ザ・デストロイヤーは現在もアメリカに住んでいます。
噂によると東京ドーム7個分の土地を所有しているそうですよ。
そこでどのような生活を送っているもかまでは不明ですが、プロレス引退しても活躍をされてきたのではないでしょうか。
日本から帰国してからは、ニューヨーク州バッファローのアクロンという土地で暮らしています。
時折、地元の高校で水泳やレスリングを教えているということですし、小学校での体育教師もしていたそうですね。
今現在でも東日本大震災のチャリティープロレス大会に参加するなどプロレスラーであり続けているのです。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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