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星野仙一の死去で野球界の悲しみの声まとめ

星野仙一の死去で野球界の悲しみの声まとめ

星野仙一さんが1月4日にすい臓がんのために亡くなられました。

野球界への貢献は多大なものがあり、数々の名勝負を残してくれて、多くの野球選手を育て上げた名将です。

死去に対して多くの関係者が声明を上げていますので、ここにまとめました。

ファンの皆さんも悲しみでいっぱいだと思います。

野球界・芸能界からの悲しみの声をお読みください。

 

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お好きなところからご覧ください。

野球界からの悲しみの声

【田中将大】

【稲葉篤紀監督】

「突然の訃報にただただ驚いております。星野さんが日本代表監督として臨まれた北京五輪に外野手として選出いただいて、共に戦い、そして悔しい思いをしたことがまるで昨日のように思い出されます。試合では常に強気の、まさに『闘将』でしたが、ミスをした選手には挽回のチャンスを与えるなど、人情味にもあふれた監督でした。心からご冥福をお祈り申し上げます」

【原辰徳】

「信じられないです。仏の顔と、勝負師の鬼の顔をいつも持ち合わせていた。メリハリの強さを尊敬していました。(昨年末の)殿堂入りをお祝いするパーティーで『よく来てくれた。感謝する』声をかけていただいたことが印象に残っています。2013年の日本シリーズでイーグルスと3勝3敗になって、決戦で。全力で戦いましたが我々が敗れ、胴上げを見ました。あれだけ全力で戦って、姿は見せられませんでしたが心の中で拍手を送っていました。(03年の退任時、甲子園で)『もう一度勉強して戻ってこい。くじけるな』と言っていただいた。その言葉にすべてが集約されていて、明日への活力になっていた」

【日本ハム栗山英樹監督】

「本当にショックで、何も言葉がありません。現役引退後から星野さんに大変お世話になってきました。海外へ取材で同行した際には、部屋へ招いていただき、いろいろなことを勉強させてもらいました。キャスター、評論家時代には『お前、誰のおかげでメシを食えてると思ってんじゃ。(球界復帰し)野球界に恩返しをしろ』と言われていたことを覚えています。監督としても教わることは多かったです。苦しんだ昨シーズン、お会いした時には『お前、何しとんじゃ』とも叱咤(しった)激励されました。振り返ってみれば、まだ星野さんへ何一つ恩返しができていません。あんなに優しい方が、ああいうスタイルにしないといけなかったということ。ある意味、優しいからこそ人を怒ることができたんだと思っています」

【長嶋茂雄終身名誉監督】

「あまりにも突然の事で本当に残念でなりません。昨年11月に開かれた仙ちゃんの『野球殿堂入りを祝う会』で『これからも野球界のために力を貸して』とメッセージを送ったばかりです。『打倒巨人』を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに『さあ仙ちゃん、来い』と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした。監督としても多大な実績を残され、さらなるご活躍を期待していました。ご冥福をお祈りします」

【山本浩二】

「あまりにもショックが大きい。早すぎるよ」

【田淵幸一】

「一番の親友だった。親友が亡くなったショック、悲しさはこんなにすごいものかと初めて体験した」

【楽天・三木谷浩史代表取締役会長】

常勝軍団への礎を築き上げていただき、本当に感謝の思いでいっぱいです。

【楽天・梨田昌孝監督】

東北楽天ゴールデンイーグルスの精神的支柱でした。「星野仙一」の真似は出来ませんが、あの厳しさと威圧感を継承しながら、心新たに現場とフロントが一体となり戦ってまいります。

【DeNA・高田繁GM】

チームのエース、キャプテンとして優勝に向け切磋琢磨したことが思い出に残っています。

【巨人・高橋由伸監督】

巨人軍に対して特別な感情で勝負されていた星野さんには、私が監督になってからお会いするたびに「巨人が強くないとダメだぞ」と激励していただきました。その言葉は私の胸に常に刻まれています。

【広島・新井貴浩】

(北京五輪では星野ジャパンの4番) 厳しさの中に愛情がある方。やさしい笑顔が忘れられません。

【オリックス・福良淳一監督】

「突然のことでビックリしています。まだまだ野球界を引っ張って行ってくれるものと思っていました。あまりにも早すぎることで、ただただ残念という思いです。心よりご冥福をお祈りいたします」

【阪神の片岡篤史ヘッドコーチ】

「星野さんが監督になったから阪神に来たのは間違いないですね。赤坂プリンスの別邸の広い部屋で2人で昼食をとったのは今でも覚えています」
「FAで移籍して、野球の厳しさをもう1度教えていただいた。僕が指導する上でも、それは生きています」

【阪神監督に招へいした時の球団社長野崎勝義氏】

「今も会えば『監督』『社長』と呼び合います。残念でなりません」
「あれだけ関西を盛り上げてくれた功労者はいません。お悔やみを申し上げます」

【PL学園の元監督・中村順司氏】

「立浪は1年目から大切に使ってくれて、新人王になれた。福留もお世話になったし、松井稼頭央がアメリカから帰る時も熱心に誘っていただいた。私は星野さんと同世代でもあるので、本当に残念。惜しい人が亡くなられた。ご冥福をお祈りします」

【衣笠祥雄】

早すぎるよ。昨年11月28日に東京であった野球殿堂入りを祝う会に出て、熱く語る姿を見ていたからね。「まだまだやらなきゃいけないことが、いっぱいあるんだ」って、大勢の人の前でね。12月にも大阪でパーティーをしていたけど、その時には病気のことは分かっていたんだろうね。元気だと思っていたから、まさか、という思いだね。

同学年で、彼は(山本)浩二と大学時代からの知り合いだから、現役時代からグラウンド外でも食事をしたし、よく話をしたよ。そういう席では、たわいのない話しかしない。でも、グラウンドで会うとがらりと変わるんだ。

勝利に対して、あそこまで闘志をむき出しにする選手は珍しかった。気の短い投手だったな。意地になって投げてくる。打った、打たないは覚えていない。対戦していて熱くなる、気持ちのいい投手だった。当時、各チームに一人はそういう投手がいて、中日なら彼だった。

でも、やはり彼は選手より監督に向いていたんだろうね。明大の島岡吉郎監督に育てられ、人を束ねる、人を引っ張ることに優れていた。監督をしている姿が一番、似合っていたね。

【中日の岩瀬仁紀投手】

「急なことでびっくりしています。12月にお目にかかった時はお元気そうだったので、信じられない気持ちです」

【荒木雅博内野手】

「ドラフト指名していただいたのも、2000本安打達成の花束をいただいたのも星野さん」と星野氏との思い出を回顧。「節目節目で大変お世話になった方なので、とにかく寂しい気持ちでいっぱいです」

【中日・矢野博也社長】

「野球殿堂入りを祝う会」で晴れやかなお姿を見ていただけに訃報を聞いて驚きました。名古屋にお見えになられた時は必ず「ドラゴンズ頑張れ」と励ましていただいていたのに本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

【中日・西山和夫球団代表】

プロ野球界にとってかけがいのない人を失ってしまった思いです。ドラゴンズから離れたあとも、ことあるごとに連絡をくださって叱咤激励をいただきました。野球を愛し、激しく熱く駆け抜けた人。残念です。早すぎます。

【楽天・岡島豪郎外野手】

「突然のことで驚いています。今の外野手としての自分があるのは、外野手転向を直訴した自分を我慢しながら使い続けてくださった監督のおかげです。選手会長として、2013年以来の日本一となりご報告できるよう、チーム一丸となって戦ってまいります」

【楽天の嶋基宏捕手】

「信じられません。今でも大きな声で『嶋!』と呼ばれるような気がします。監督から教えていただいた『闘う姿勢』を忘れず、今年こそ東北を熱くします。そして、いつか監督のような厳しさの中に愛情のある人間になりたいです。ご冥福をお祈りいたします」

【楽天の岡島豪郎選手会長】

「突然のことで驚いています。今の外野手としての自分があるのは、外野手転向を直訴した自分を我慢しながら使い続けてくださった監督のおかげです。選手会長として、2013年以来の日本一となりご報告できるよう、チーム一丸となって戦ってまいります」

【楽天の藤田一也内野手】

「突然で言葉がありません。今もこうして現役でプレーできているのは星野さんとの出会いのおかげです。日本一になった時『ここまで来れたのは一也のおかげだ』と言っていただけたのがすごく嬉しかったです。星野さんの勝負に対する厳しさ、野球へ取り組む姿勢を胸にここまでやってきましたので、これからもそれを続けていきたいです」

【楽天の岸孝之投手】

「すごくびっくりしています。FAの時、星野さんから頂いた「迷ったら前に進め」という言葉が今でも忘れられません。まだ恩返しができていないので、今年、日本一という形で恩返しをしたいです。ご冥福をお祈りいたします」

【楽天の銀次内野手】

「突然でびっくりしています。星野さんのおかげで今の銀次があります。自分も『星野仙一』のような男になりたいです。昨年見せられなかった日本一を今年こそ奪回しますので見ていてください」

【楽天の則本昂大投手】

「突然のことで驚きを隠せないです。星野さんがいなければ、今の僕はないので、感謝しかありません。ご冥福をお祈り申し上げます」

【中日荒木雅博内野手】

「ドラフトで指名していただいたのも、2000安打達成の花束をいただいたのも星野さんで、節目節目で大変お世話になった方なので、とにかく寂しい気持ちでいっぱいです。ご冥福をお祈りいたします」

【ヤクルト宮本慎也ヘッドコーチ】

「今朝星野監督の訃報を聞きました。野球人として、そして何よりも指導者として尊敬している方なのでショックです。今の時代には必要な方だと思いますので惜しくてなりません。オリンピックを一緒に戦わせてもらいましたので、星野監督の野球に対する思いを微力ながら伝えていきたいと思います。ご冥福をお祈りします」

【倉敷商監督時代に星野氏を指導した矢吹恬一氏】

「まだ70歳でしょう。早すぎるよ。残念でならない」
「これまでいろいろ苦労してきたから、お母さん(敏子さん)の横に行って、ゆっくり休んでほしいね」

【プロ野球評論家の張本勲】

「現役も監督(時代)も全面的に闘志を出した選手だったですね」
「球は速い球じゃない。フォークがちょっと良かった。一球一球気合を入れて投げてくるから。だいたい遊び球というのがあるんけど、気合を入れた遊び球を投げてくる感じ」

【阪神OBの赤星憲広】

「その時も“体は大丈夫か?”とボクの体調を気にしてくれるような方。自分の弱い部分を最後まで見せない男・星野はさすがでした」
「ネクストサークルで呼ばれて“周りをよく見てみろ。外野手があんなに前に守っててナメられとるやろ。ヒットゾーンだらけや。お前で決めてこい”とかけられた言葉は一生忘れません」
「“お前は怒った方がいいのかもな”って…。その時の笑った顔が忘れられなくって…。振り返れば、やっぱり優しい方でした」

【野球解説者の古田敦也】

「敵で戦ってきたので、チーム内のことは分かりませんが、先頭に立って戦ってこられた「お前はよういじめたけど、よう頑張った」
「それぐらい中日、阪神を勝たせるために一生懸命やってらしゃった監督だったと思います」

【元楽天投手の山村宏樹】

「リリーフで僕が中田翔を1球で打ち取り(左飛)、ベンチに帰ってきたら、監督が野手に『あいつ(山村氏)に勝ち星つけるぞ。よーし、行け』とハッパをかけてくれた。当時の僕の主な役割は、負けている試合のリリーフ。そんなベテランに気を使ってくださったんでしょうが、うれしかった。直後にチームが本当に勝ち越したんですよ。試合後には『ごほうびだな。もう1回頑張れ』と言っていただきました」

【中日で投手コーチを務めた山田久志】

星野さんの訃報に落ち込んでいる。我々は団塊の世代を生きてきた同志で、人として、監督として、男として付き合ってきた間柄だけに、哀悼の念を禁じ得ない。
「中日を強くしたい。お前の力を貸してくれ」と訴えられた。
「ピッチャーのことは99%はお前に任せた。でもあとの1%は俺にくれ」と言われたのを覚えている。

【巨人・阿部慎之助】

「(報道を見て)冗談かと思った。悲しい。人の命ってあっけない。何が起こるか分からない。ご冥福をお祈りします」
「おっかないイメージがあったけど、練習日とかはリラックスした表情で優しかった。北京五輪の予選の時は、試合が始まった瞬間からスイッチの入り方がすごかった。勝負への姿勢、執念などは見習いました」

 

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球界以外からの悲しみの声

【梅沢富美男】

「星野監督の訃報にショックをうけています」と書き出し、「僕のことを呼ぶときいつも『おい、夢芝居』とよんでたなぁ」
「男が惚れるいい男でした。どうぞゆっくり休んでください」

【俳優・渡辺謙】

「あまりにも突然」
「闘将の幕の引き方は現役、監督時代にも似て、あまりにも突然でドラマチックでした」「『どや、驚いたか?』そんな高笑いが聞こえてきそうです。まだまだあの笑顔が見たかった」

【ゴルフの松山英樹】

「気にかけてもらってすごくうれしかった」
「その後も何回か(星野氏に)『もうそろそろ投げろよ』と言われたがタイミングがなかなか合わなかった」と振り返り、「今年はと思っていたが、去年のうちに投げておけばよかったかなという後悔はある」
「殿堂入りしてすぐに亡くなるというのは寂しい」

【桂文枝】

「とてもお元気でしたのに、信じられません」
「豪快で繊細で。阪神の監督就任を励ますパーティーがあった時、『ビールの乾杯は今はしません。優勝の時にとっておきます』とおっしゃられ、見事就任2年後にリーグ優勝を果たされたことが、昨日のように思い出されます」

【月亭八方】

「生まれ変わったタイガースの創始者、星野さんありがとうございました」

【タレントのダンカン】

「星野さん、星野さん、あゝ星野さん、星野さん!」
「ダンカン阪神を強くする策を2人で考えようや?」「え、星野さんは・・中日の監督じゃないですか?大体今、キャンプで練習中じゃないですか?」「あははは・・・現場は島ちゃん(故・島野育夫コーチ)に任せといたら大丈夫や!大事なのはオレは阪神ファンてことや!」
「懐かしき沖縄ドラゴンズキャンプのグラウンドでの会話・・・永遠の阪神ファン・星野仙一さん・・・合掌」

【落語家・立川志らく】

「星野仙一が。私がドラゴンズファンになった昭和40年後半。エースだった。当時1番好きな選手だった。合掌。」

【小田和正】

「殿堂入りのお祝いの食事をしたのが最後でした。その時はいつも通りの仙ちゃんでとても元気でした」
「ほんとうに残念です。御冥福をお祈りします」

【和田アキ子】

「いつも紳士でカッコよく、お話も楽しくて大好きでした」
「“めったに出ないけど、アコちゃんだから来たよ”とおっしゃってくれた時の可愛らしい笑顔が忘れられません。闘将と言われて世間では怖いイメージがありますが、私はいつも笑顔でバカ話をしている姿しか思い出せません」

【フリーアナウンサーの久保純子】

「試合中に見せる厳しい一面と相反する優しい笑顔は忘れることができません」
中日監督だった星野氏が「野球のイロハを優しく教えてくれた」

【NEWS ZERO」の村尾信尚メインキャスター】

「“天はその人が越えられない試練は与えない”と言って頑張っておられた姿が今でも忘れられません」
「北極星を失った気持ちです」

【KAT―TUNの亀梨和也】

「勝負が始まる前と後の切り替えがあり本当に優しい方だった」
「自分が子供の頃は、熱い、怖いというイメージがありましたが、じかに話すと、本当に優しくて。笑顔のすごく印象的な方でした。日本の野球文化にたくさんのことを与えてくださった。残念です」

【北島三郎】

「お互いに身を置く世界は違えど、心が通じ合い尊敬できる友でした」
「突然の訃報に接し、悲しさで胸がいっぱいです」

【杉浦太陽】

「胸が痛い。2003年に阪神が日本シリーズに進出した際、甲子園で観戦した。何度か食事させてもらいましたが笑顔の絶えない方でした。会うと『しっかりせえよ』と背中を押してくれるオヤジのような存在。天国でも野球をしてほしい」

【板東英二】

「先日もパーティーでお会いしとても元気そうでしたので、こんなに早くなんて思ってもみませんでした。まさか、奥さまも含めて自分が見送る事になるとは、さびしい限りです。すぐに後を追いますので待っていてくださいね」

【渡辺謙】

「闘将の幕の引き方は現役、監督時代にも似て、あまりにも突然でドラマチックでした。『どや、驚いたか?』。そんな高笑いが聞こえてきそうです。まだまだあの笑顔が見たかった」

沢山の親友や野球関係者、芸能界の方々から惜しまれてます。
本当に大切な方がこの世から去っていかれる悲しみです。

これからもずっと星野仙一魂がみんなの心に残っていくでしょう。

 

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最後までお読みいただきましてありがとうございます。

 

 

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